怒り
ふと声に出す誰かの名 意味のない音の羅列に 顔も浮かばず
短歌をブログに載せるなら、本文はおちゃらけるな〜かあ・・・
私は、作家の円上塔の作品が好きだけど、読んでるとまったく読者をあざ笑うかのような挑戦的な遊技をしているようにしか思えないんだけれど。それを、不快な人が多いらしい、「純」文学を舐めるなということか。伊藤計劃を引き継いだ「屍者の帝国」なんか、読んでて笑っちゃうようなパロディの連続で、恐らく私には理解出来ていない部分も膨大なパロディで、「小説」というかたちをもってどれだけ人を怒らせることができるかの、壮大な実験のようだった。
短歌も純文学のような死に体のようなジャンルになって、詠んでいる人のマスターベーションみたいになってる気がして、やっぱりそんな頑迷なのは不自由で、発展性がないと思う。どんなジャンルの創作も、プロダクトも、裾野が広がって初めて高みへも進むのだと思うから。そして裾野は思いっきり自由で奔放な方がいい。SONYもトヨタも今の日本を支えるプロダクトはそういう中から出て来たものだって、解っているはずなのに。それが「純」プロダクトになってしまって硬直してしまって、凋落している。
ムラカミハルキだって、出て来たときは「なんじゃこりゃ」だったはず。なんじゃこりゃな生き方の人が書いていたし。文学ってもともとそんな壊れたもの、もしくは破壊するものじゃないのかな。
なんだか、日本は息苦しい、最近。